「INFOWAR--information.macht.krieg」が今年のアルス・エレクトロニカのテーマである。「INFOWAR」――情報戦争、もしくは戦争の情報化。それは今にはじまったことではない。古代より戦争においては敵の情報を掌握することが勝利への鍵であったし、そもそも戦争というもの自体が情報を基盤として成立しているからだ。重要なのは、情報テクノロジーの進歩が戦争の質や意味をより非物質的、遠隔的、間接的なものへと変えたことにある。「情報戦争」というタームは、80年代には通信衛星を通した情報の支配、つまり冷戦時における国家間の遠隔監視という性格を持っていたが、特に90年代半ば以降のインターネットの普及によって、国家や国境に回収されえないオルタナティヴな情報流通までを含む拡散的な展開においてとらえ直されようとしている。
今回の「INFOWAR」は、それ自体がまさに「INFOWARをめぐる一種のINFOWAR」だったともいえる。マヌエル・デ・ランダをモデレーターにブルックナーハウスで2日間にわたって開催されたシンポジウムでは、フリードリッヒ・キットラー、インゴ・ギュンター、ティモシー・ドルックレー、伊藤穣一、ポール・ヴィリリオ(遠隔参加)をはじめ、中国やロシアから国家を代表する情報理論家がスピーチを繰り広げたが、会場の外ではアーティストやメディア批評家、アクティヴィストがインスタレーションや「open X」と題されたネット・プレゼンテーションおよび実践(x-change, rhizome, nettime bible, pararadio, ヒース・バンティング、ピット・シュルツ、エリック・クルーテンバーグetc.)およびアルスの批評的リフレクターとしてのオンライン・レポート(ヘアート・ロフィンク)、ハッカー・ミーティングなどが、シンポジウムとは異なったレベルで「INFOWAR」を実践していたからである。
そもそも情報は差異でしかないが、人間が自らを優位に置くためにそれを利用する時、結果的に優生学的な暴力性を持つことになる。現在情報戦争においてはC3IRS(command, control, communication, intelligence, reconnaissance & surveillance)が重要なファクターとされているが、このように情報優位性へと収斂されるベクトルを批判的に検討し、むしろ統制からはずれていく制御不可能性を皮肉をこめて積極的に指摘したのが「Information Weapon Contest」プロジェクト(ロフィンク+ヴック・チョーシッチ)である。ここでは、映画「タイタニック」の撮影現場として突如コンクリートの壁に占拠されたメキシコの寒村で行なわれたレジスタンスとしてのグラフィティなどに自主的に賞が与えられた。
ここまでは「INFOWAR」をあえて対立的に語ってみたが、もちろんコトはもっと複雑である。情報を語る者自身がその情報環境の一部であり、また情報そのものであることを思いだすなら。つまり「INFOWAR」は、前述したものを語る前提として、すでに外部よりもむしろ内部において認められるべきだろう。外部に敵や対象を設定することは、内部の欠損を隠蔽もしくは正当化として機能する。自ら内部の敵=背反する自己、もしくは自らも敵と共犯者でありうること。意識という情報環境は、つねに不安定なバトルフィールドなのだから。このような葛藤を見事に提示していたのが、ダニエラ・プレヴェの「Ulrima Ratio」である。ハムレットや映画「カサブランカ」などから切り取ったシーンにおける心理的な葛藤を論理的に検証・分析し、その構造を3Dグラフィックスによるインタラクティヴ作品として結実させることで、ナラティヴに依存しない世界の関係可能性を、体験者は空間の自由なナヴィゲーションによって体感することができた。その他インスタレーションでは、フィットネス・マシンを直接介入のインターフェイスとして、ヨーロッパの歴史の反映としての戦争文化をシミュレートさせる「ゲーム・プレイについてのゲーム」(本人)、カリン・ダンの「Happy Doomsday!」が、ルーマニア革命を体験した作家ならではの辛らつかつ突き放した視線を提供した。
パフォーマンスにおける特筆すべきものとしては、マルコ・ぺリハンを中心にカールステン・ニコライ他数人が川辺の草地で一晩中のべ11時間にわたって繰り広げた「Solar」を挙げておきたい。ニコラ・テスラに捧げられたこのイヴェントでは、リアルタイムで衛星放送のフィードや短波などを受信し、それらを画像やサウンドへ変換(時に既存の音源、画像も使用)するプロセスが重要である。コンピュータとともに育ち、ボスニア−ヘルツェゴビナにおける情報戦争(マスメディアも含む)をスロヴェニアにおいて体験したぺリハンは、情報の枠組みを徹底的にずらし変形することで、新たなリソースとして空間に再度開放する。
その他アルス・エレクトロニカ・センターでは、ORFと共催によるアートのコンペティション「Prix Ars Electronica」 ネット部門の1位ノウボティック・リサーチ「IO_DENCIES/Tokyo」(キヤノン・アートラボとの共同製作)、2位の八谷和彦の「Post Pet」(ソニー・コミュニケ−ション・ネットワーク)が展示され(ノウボティックは最新のサンパウロ・ヴァージョンも発表)、また受賞作品に数作を加え開催された展覧会「Cyberarts 98」(O.K.現代美術センター)では、昨年のICCビエンナーレ準グランプリ作品「Audible Distance」(前林明次)や「Boundary Functions」(スコット=ソナ・スニッベ)、前回のPrix受賞作品「Border Patrol」(ポール・ギャリン+デヴィッド・ロクビー)において、それぞれ違ったアプローチではあるものの人間のポジションと情報センシングの問題が扱われていた。そもそもディジタル情報を扱うメディアアートにとって、「INFOWAR」がそれ自身に内在するテーマのひとつであることは明らかであり、そのことをいかに自覚するかが問題となってくる。ここでは自覚的な作家を中心に挙げたが、私のこの報告もまた「INFOWAR」の一部であることを最後に記しておく。 |
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